すき焼きこぼれ噺シリーズ

この人に聞く、すき焼きのプロの流儀

赤城山・榛名山・妙義山など、数々の名峰に囲まれた海なし県・群馬。そんな、農畜産業が盛んな土地だから、オール県内産で食材がまかなえる「すき焼き」という究極のおもてなし料理がある。
2014年、すき焼き応援県として動き出した群馬には、今や専門店以外にも洋食店や旅館など数多くのすき焼き提供店がひしめく。そんな中でも、群馬で牛肉文化が普及する以前から歴史を刻んできた店がある。今回は、群馬のすき焼き専門店といえば多くの人が耳にしているであろう、老舗の名店「牛や清(ぎゅうやきよし)」の2代目女将・藤井紀美江さんにお話を伺った。

創業60年 群馬が誇る老舗すき焼き店

看板に大きく「上州黒毛和牛 牛や清」の文字が記されたその店は、目の前を利根川が流れ、遠くには雄大な榛名山を望む前橋市の大渡橋たもとに位置する。
桜やレンギョウ、モミジなど、よく手入れされた木々が建物を囲むように枝を張り、雰囲気はさながら格式のある料亭のような佇まい。えんじ色の暖簾を潜り店内へ進むと、着物姿の女将の藤井紀美江さんと娘の香さん母娘が出迎えてくれた。藤井さん母娘はともに日本舞踊歴40年以上の師範。香さんに至っては、舞踊家として国内外で活躍するほどの腕前だ。そんな伝統芸能で身に着けた優美な身のこなしで、さっそく2階の広間へと案内してくれた。
昭和34年、先代女将が現在の地に開業した「牛や清」。先代女将は、和食料理店で修業を積んだ後に独立し、現在の場所に店を構えたという。もとは割烹店、さらに昔は梨畑だったというこの土地を、当時の女将と旅館の女将が折半して購入し分け合った、というのが創業の歴史(現在旅館は閉業)。7年ごとの増改築を経ながら、今に至っている。

窓の外に優美な榛名山と利根川を望む2階の個室。四季折々の風景を眺めながらゆったりとした時間を過ごせる。

店内は、1階の広間、小上りの座敷、2階の大広間と個室が2部屋あり、最大収容人数は130名以上。1、2階のどちらからも、窓外には自然豊かな風景を望み、春は敷地内の桜、夏は利根川でアユ釣りを楽しむ釣り人の様子、秋冬は紅葉や雪化粧した榛名山など、四季折々の表情を楽しめる。特に夏の前橋花火大会では目の前の利根川が打ち上げ会場のため、間近で花火見物ができるとあって予約が殺到する。

オール群馬県産でまかなう
女将こだわりの食材選び

牛や清が振る舞うすき焼きのいちばんの魅力は、農畜産業が盛んな群馬ならではの地の利を生かした仕入れだ。
主役の牛肉は、上州和牛の肩ロースを用いる。上州和牛とは、群馬県内で独自の飼料を用いて肥育され、群馬県食肉卸売市場でと畜処理された黒毛和種の銘柄肉。なかでも牛や清が扱うのは上州和牛のA5ランクのみ。その肉質は、サシと呼ばれる脂身が霜のように肉全体に入り込み、柔らかな食感と臭みのないまろやかな風味、コクがあるのにさっぱりとした脂が魅力だ。「お客様のなかには『牛や清の脂は胃にもたれない』と仰る方もいるんですよ」と長年肉を見極めてきた女将も太鼓判を押す。
また、「仕入れで一番大変なのは、季節野菜のねぎとしゅんぎくなんです」と女将は語る。群馬は言わずと知れた下仁田ネギの産地。旬を迎える冬場には直径5センチほどもある極上の下仁田ネギが手に入り、牛肉に負けず劣らずの存在感を発揮する。旬が終わる春先から夏・秋にかけては女将の出番で、生産農家へ直接出向いて芯まで柔らかくて甘い長ネギを目利きして買い付ける。香りのアクセントとして欠かせない春菊については、以前は県外からの空輸もあったが、近年は赤城山麓の農家から直に調達。「おかげさまで、遠くから仕入れなくてもたくさんの方が食材集めに協力してくれています」。
こうした地産地消へのこだわりは「先代というよりも、私の主人がいい物好きだったんですよ。採算度外視で、儲かっても儲からなくても一番いいものが欲しい。そういう性格だったのかしら」と振り返る。ご主人亡き今は、その思いを受け継いだ女将がいいものを求めて県内各地を飛び回る。紹介や物産展で知り合った農家など、たくさんの出会いを大切にしながら独自の仕入れルートを築き、今では前橋市の赤城山麓、宮城、富士見町、下仁田町、時には昭和村や沼田市といった北部エリアまで女将自ら足を延ばして食材集めに奔走する。「食材探しは楽しいことでもあり、大変なことでもあります。でも、いいものが手に入るとやっぱり嬉しい。だから続けられるんですね」と笑顔を見せる。女将の苦労や、多くの人の関りがあって完成している牛や清のすき焼き。そのストーリーに思いを馳せていただく鍋の味には、どこか温もりを感じずにはいられないのだ。

最高の食材を最高のタイミングで味わえる
至れり尽くせりのおもてなし

地域によって食し方に違いがあるのがすき焼きの面白さでもある。一般的には、醤油とざらめで最初に肉を焼くのが関西風、すべての食材を鍋に詰め込み割り下でぐつぐつと煮込むのが関東風。「うちでは、それぞれのいいところを採用しています」とこだわりを語る。

タレには、門外不出の秘伝の割り下。野菜から出る水分量や煮込み時間を計算して絶妙の濃さに調整された味は、決して甘すぎず、しつこくないのが特徴だ。牛や清では、テーブルごとに仲居さんが付いて一通りの調理を行い、食べごろのものから順に勧めてくれる。「カップルの時は、ムードを壊さないように様子を見ながらね」と茶目っ気もたっぷり。作り手の手さばきで味が左右されるすき焼きを「ベストなタイミングで味わってほしい」という思いを込めた至れり尽くせりのサービスが、おいしさを支えているのだ。

バターのような牛脂を馴染ませた鉄なべで軽く牛肉を炒める。

ねぎ、しいたけ、しらたきと、火が通りにくいものから順に炒める。

先代調理長から受け継いだ秘伝の割り下を注ぐ。

また、食材を炒めて風味づけする牛脂にも、特別のこだわりがある。一般家庭などで使われる牛脂は、脂身の塊がほとんどだが、ここでは脂身を一度溶かして再成型したものを使用。バターのようになめらかな特製牛脂は、熱した鍋の上できれいに溶けてなくなり「このひと手間で臭みや雑味のない味に仕上がるんですよ」と教えてくれた。

伝統の味と暖簾を守る女将が掲げる
揺るぎない信念

鍋全体に火が通り、すっかり食べごろを迎えた食材たち。部屋いっぱいに、甘辛いすき焼きのにおいが充満し、食欲を刺激する。

結婚し、牛や清に嫁いできた女将。「料理が好きでしたから、私は厨房に。初めはジーパン姿で、下積みから経験しました」と懐かしむ。勉強熱心な性格から、厨房見習いをする傍ら独学で調理師免許の勉強に励み、試験を受けて免許を取得。「母はコツコツ勉強するのが得意なタイプ」と娘の香さんが言う通り、「試験結果は満点でした」と笑う。先代女将の誘いで日舞を始め、「昔は広間で踊りを披露してお客様をもてなしました。先代と2人で踊っていると娘が飛び入り参加して場を盛り上げました。娘はお客様の間で育っていったようなものです」と思い出話に花を咲かせる。現在、店舗のリニューアルを企画中だという牛や清では、新しく板の間の設置も検討している。「これからは、食と踊りの両方で日本文化を発信できるお店作りをしていくのが母娘2人の夢ですね」と理想を語った。

さて、冬野菜がメイン食材となるすき焼きだからこそ、夏場の食材集めには苦労も絶えないすき焼き。近年では、季節野菜や洋風アレンジなどを加えた個性的なすき焼きを振る舞う店も増えている。そんな中でも「うちはうちでやはり王道は王道として残していきたい、というのが私の信念。夏は涼しく冬は暖かく、いつ訪れても王道のおいしいすき焼きが食べられるように、この味を大切に残していきたいですね」と創業60年の暖簾を守る女将としての譲れない信念を語った。
地の利を生かしたすき焼きが群馬の名物として県内外に広く知られることで、店舗や生産者の意識の底上げを願う。定番食材の安定供給が可能になる理想の日を目指して、女将は今日も食材集めに走り回っている。

牛や清
ぎゅうやきよし

住所 前橋市岩神町4-9-15
TEL 027-233-1519 FAX 027-233-1519
営業時間 12:00~14:00、17:00~22:00
定休日 日曜(祝日の場合は営業、翌日休み)
駐車場 20台、大型バス1台

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