全国屈指の豚の産地である群馬県。
豚肉グルメの多彩さでも、他に引けを取りません。
とんかつ、カツ丼、豚肉を使ったすき焼き、
ホルモン焼きにモツ煮などなど。
群馬を巡るなら、多彩な豚肉料理との出会いも欠かせません!
澄んだ空気、おいしい水、広大な大地。
今も昔も変わらない、
畜産に適した自然環境。
群馬の大自然が育んだ豚肉は、
風味豊かで抜群のうまさ。
そんなぐんまの豚肉のおいしさや魅力を
紹介します。
ぜひ、ぐんまの豚肉を食べて、味わって、
その魅力を体験してください。
群馬県で生産される豚肉は実に多彩。
県内には30種類以上もの銘柄があり、その品質を競い合います。
大切なのは、一つ一つの銘柄がしっかりと消費者の支持を得ているということ。
多彩な銘柄こそが、その品質の高さの裏付けであると私たちは考えます。
あなたのお気に入りの銘柄もきっと見つかるはず。
ぐんまの豚肉の美味しさの秘密……
誰もが知りたいその秘密を解き明かそうと
群馬県では、知事自らがリーダーとして活動するプロジェクトチーム
「G-アナライズ&PRチーム」が様々な角度から分析を行いました。
- 1さっぱりとした脂
- 2やわらかい肉質
- 3疲労回復も期待できる
数々の銘柄を誇るぐんまの豚肉。
飼育方法や環境づくりは生産者によって様々ですが、
美味しい豚肉を届けたいという気持ちは同じ。
大切にしていることや現場での苦労など
直接お話を伺いました。
やわらかく肉質のよい群馬県産の豚肉は
様々な味わい方でお楽しみいただけます。
こだわり抜いて生産されたぐんまポークを使って
栄養満点の豚肉料理を、ぜひご家庭で。
「いい水・いい空気・いい飼料」が
美味しさの秘訣。
30を超える銘柄数は
生産者の自信と信用の証です。
群馬県養豚協会 顧問
岡部 康之 さん
- ■ 群馬県は飼養頭数が第4位という全国でも有数の養豚県ですが、昔の様子はどうだったのでしょうか。
- 養豚農家の数は現在、群馬県で二百十数戸ほどですが、昭和50年(1975年)あたりは一万戸はあったんですよ。昭和30年(1955年)頃はどこも規模は小さくて、農家の中に豚小屋があって、豚を1頭・2頭と飼育しているような、いわゆる「軒下養豚」だったんですね。群馬県は昔から養蚕が盛んだったので、多くの農家が養蚕と養豚を兼業していて、豚の糞を桑畑の堆肥として活用していたのでしょうね。その後昭和50年代を境に専業農家が増えてきましたね。その背景には、戦後の食料事情が徐々に豊かになり、食事内容も欧米化してきて、豚肉を食べる需要が高まったんだと思いますね。確か昭和40年代は市場に年間5頭くらい出荷すると表彰されていたんですから、その当時の豚肉は貴重品だったのかもしれないですね。
- ■ 養豚をするうえで大切な要素を挙げるとしたらどのようなことでしょうか。
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それはやはり「いい水・いい空気・いい飼料」でしょうね。群馬はなにより緑が豊かで水が豊富でおいしいですよね。水も大事ですが空気の善し悪しも大事です。
やはり豚にストレスがかかってしまえば、あまりいい肉質にはならないですからね。
豚肉を食べたときに獣臭がする、しないというのは、与えるエサによっても違います。日本は昔からトウモロコシや大豆が飼料の主流ですが、それに加えて群馬は麦をエサにすることも多いですね。麦は臭みがなくてあっさりとした味になります。
- ■ 群馬県で養豚がこれほど盛んに行われているその理由を教えてください。
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まず、首都圏を中心とした大消費地が近くにあるという点と、豚舎を造りやすい立地条件が大規模農家を多く定着させたからではないでしょうか。
今まで衰退することなくずっと継続できていますからね。赤城山の麓や山の中腹あたりに養豚場が多いのは、やはり養豚に適した土地や環境が整っているんだと思います。それから食肉卸売市場や豚肉の流通事業者が県内にあったということも、安定した需要や流通を確保するのにあたり、大きく寄与してくれていたと思います。だから豚肉に力を入れていくことができたんでしょうね。
- ■ 養豚の現場ではどのようなことにご苦労されていますか。
- 伝染病から農場を守るための飼養衛生管理基準を守ることですね。今は防鳥ネットの整備が進められています。昔はなかった伝染病や感染症といった病気の数も、時代が進むほど増えてきています。感染リスクが高まるので、対策せざるを得ませんが、コストが大きくのしかかり、養豚農家の経営を圧迫につながります。今、頑張っている養豚農家がこれ以上減らないことを願っています。
- ■ 群馬の豚にはどのような特徴がありますか。
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銘柄が多いことが特徴です。群馬県にはブランド豚の数が30銘柄以上もあるんですよ。生産者がそれぞれ工夫を凝らしているから、自社ブランドの豚に自信があるのだと思います。あえて名前を出すということは自信の表れである半面、責任も負わなければなりませんから、ブランド豚の数は信用の証といえるでしょう。そして、そのブランド豚を欲しがっている人、売りたがっている人がいるということです。出荷できる頭数に限りがあるので、日本全国どこでも買えるわけではないですからね。
私のおすすめの食べ方は、豚肉がおいしさが直に味わえるしゃぶしゃぶがおすすめです。
ぜひ、群馬のおいしい豚肉をたくさんの人に食べてもらいたいですね。
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明治期に入って日本に養豚が始まると、群馬県においても明治初期には早くも豚の飼育が始められました。明治中期には、前橋や桐生周辺で本格的に養豚を営む者が見られるようになりました。
明治後期には、農家の副業として最も利益のあるものとして、県から農家へ養豚奨励がなされました。
しかし、群馬県での養豚への理解は薄く、明治期では飼養頭数の全国に対する本県割合は1%であり、養豚数は大きく伸びませんでした。
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大正期に入ると、群馬県の養豚数は次第に増え、飼養頭数の全国に対する本県割合は、3.5%まであがり、次第に養豚県になりつつありました。
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昭和期では、戦後の食料事情の好転や食生活の向上に支えられて養豚の増加傾向が続きました。昭和36年(1961年)には、第4回全日本豚共進会が高崎市で開催され、群馬県は蓄積された技術により好成績を収めました。このことが、本県養豚の発展の基礎となり、養豚県群馬の名声を全国に示すことに繋がりました。
昭和30年(1955年)頃までは、1戸あたりの養豚数は1頭台でしたが、大規模経営の流れになり、次第に頭数が増加するとともに、養豚戸数は減少しました。
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昭和50年代はじめには1万戸以上あった養豚戸数は、令和元年(2019年)では約200戸となっており、1戸あたり約3,000頭の養豚数となっています。
令和元年(2019年)の飼養頭数は約63万頭であり、全国に対する本県割合は約6.8%となっており、全国4位の飼養頭数を誇ります。
参考文献:
群馬県養豚史編集委員会『群馬県養豚史』昭和62年